組合員活動紹介

2020年08月31日

ピースアクション2020 in ヒロシマ オンライン開催視聴

8月5日 城東北地域活動委員会(大阪市)

城東組合員会館で15人くらいで視聴する予定だった、「ピースアクション2020 in ヒロシマ」(日本生協連・広島県生協連・長崎県生協連主催)。委員さんみんなで集まってのとりくみは叶いませんでしたが、委員さんの中にご自宅で視聴される方がいるとのことで取材にうかがいました。

視聴したプログラムは「被爆体験伝承講話」。視聴された城東北地域活動委員会の小松さんは、「原爆のことは勉強したり展示を見たりはするけれど、被ばく者の方のお話を聞く機会はあまりない。この伝承者の方のように、後世に伝える活動はとても大切だと改めて考えさせられました。今回オンラインで視聴することができて良かった。自分も戦争を知らない世代だけど、自分の子どもたちや身近な人たちから話し合う機会を持つことができればと思いました。
新型コロナウイルスの影響で、今回はこのような形になったけど、7月に委員で集まって話し合ったことや準備したこと、一般の組合員さんにもニュースで呼びかけるなど、何とかできることをしてきた。『今は活動って何もしてないでしょ』と言われたこともあるけど、『できる限りやってるんだよ』って言いたいですね」。

  • メモを取りながら視聴する小松さん

  • 事前に配布した委員会ニュース

当日は、枚方地域でも視聴されていました。感想をお寄せいただきましたので、ぜひこちらもご覧ください。

子どもたちの未来に核兵器のなし世界を手渡さなければなりません

備瀬さん(枚方まきの地域活動委員会)

初めて被爆体験伝承者の方のお話を伺いました。伝承者は自身が伝えていきたいテーマを持ったヒバクシャの方を選び、その方の被爆体験に向き合い、事実を忠実に伝えます。ですので、伝承者の方が、被爆体験者の記憶に沿って、原爆被害の恐ろしさを科学的に、また、時代背景なども含め、忠実にお話していただくと、まるで私たちも被爆の現場で同じ体験をしているような気持ちになりました。
そのお話には、ちょっとした偶然が重なり、生死が分かれてしまう内容がありました。同じ中学生でも学校が違う、建物疎開作業の場所、原爆が投下された時にいた場所など、戦争がなかったら、原爆がなかったら普通に中学校に通えていた子どもたちが、一瞬のうちに人生が奪われたという、あまりにも過酷な運命に心が押しつぶされそうになりました。だからこそ、私たちは、子どもたちの未来に核兵器のない世界を手渡さなければなりません。また、戦争の不条理さと残酷さを伝え続けなければなりません。そのために、今できることを確実にやっていきたいと思いました。

まずは関心をもとう

千田さん(枚方まきの地域活動委員会)

今年は戦後75年という節目の年になります。75年前の8月6日、一発の原子爆弾が投下され、一瞬にしてたくさんの尊い命を奪い、皆の日常を地獄にしました。
被爆体験伝承者から83歳の被爆体験者のお話をオンラインで聴きました。
このヒバクシャの方は当時小学生で、『水をくれ』と大火傷の二人に頼まれ、水をあげ、飲み終えたら亡くなりました(水をあげたらダメだと知らなかったのです)。それから10年もの間、その事が忘れられなかったそうです。このようなお話を聴き、原爆は小学生の善意の心までも苦しめ続けたことを知りました。
ヒバクシャの方々が年々減ってきている中、戦争を経験していない私たちにできることは何だろうか?まずは関心を持とう。そして、自分ができることからやってみよう。私たちの平和なくらしのために。

原爆の被害の大きさを実感

乾さん(枚方やまだ地域活動委員会)

オンライン碑めぐりについて、原爆ドームの維持も大変ですが、他の多くの被爆建物の維持もして欲しい。原爆供養塔に引き取り手がない7万柱の遺骨が納められ原爆の被害の大きさを実感します。
佐々木貞子さんが入院中に折り鶴を千羽以上折っていたと知り貞子さんの気持ちを思うとつらい。
被爆体験伝承講話は当時の社会情勢を織り交ぜて話され、わかりやすかった。特に橋ですれ違った顔が風船のように腫れあがった姉妹の姉が妹と手をつなぎ「しっかりね」と励ましていたことは、本当につらく涙が出ました。全身火傷で皮が垂れ下がりながら歩いている人々は、どれ程、苦しかったでしょう。絶対に繰り返してはいけません。平和を守らないといけないと強く思いました。

戦争は当たり前の日常を奪う

上林さん(山田東パル委員会・枚方やまだ地域活動委員会)

原爆が落ちたとき、大阪にいた私は6歳で幼かったせいかあまり深く考えなかったことを覚えています。
しかし、少し大きくなった時には、広島や長崎で想像以上の悲惨な出来事が起こったことに対して悲しみと怒りを覚えました。ですので、今でも原爆資料館に入ると心が凍り付く思いがします。
今日、被爆体験伝承講話を聞き、原爆で全身に大やけどを負い、生死の境をさまよいながらも、「わが家へ帰りたい!」という一心な思いで歩き続けた人達の姿に胸が詰まりました。また、通っていた中学校の違いが生死の分かれ目になり、我が子の命を奪われた母親の無念の思いがよくわかります。すなわち、戦争は、普通のくらし、当たり前の日常を奪います。みんなの平穏な毎日を一瞬に奪ってしまうのです。わたしの父も、どこでどのような死に方をしたかもわからず、紙切れ一枚で父の戦死を知りました。そんな戦争は二度とおこしてはなりません。

平和がずっと続くことを願います

吉岡さん(交北パル委員会・枚方やまだ地域活動委員会)

原爆投下後の様子は写真でも絵で見ても恐ろしい。そんな悲惨な戦争をおこしたら絶対にだめだと思う。特に、なんの罪もない子どもたちが原爆の被害に合い、死んでいったことはとても悲しい。
以前、知覧(ちらん)で読んだ特攻隊の男の子たちの遺書に「死にたくない」と書いてあるのを見て、こんな理不尽なことがあるのかと愕然とした。今の日本は、平和でよかった。この平和がずっと続くことを願います。

次の世代へ伝える大切さ

高木さん(山田東パル委員会・枚方やまだ地域活動委員会)

8月に入ると新聞の記事でも戦争の体験談が多く載せられています。当時10歳ばかりの少年が勤労奉仕で使っていた工作機械がアメリカ製で子ども心に敵国との技術の差を感じとったとありました。
国民の中でも戦争への疑問を持つ人がいたと思います。戦争は兵士だけの問題ではなく、それを支えるために国民のすべての犠牲の上に立つものです。
重なる空襲、原爆投下で平穏な毎日、家族で語らい食事をするという当たり前の日々が無になるという恐怖感を持って今回のお話をお聞きしました。国、政府による暴走が民意に関わらず戦争の闇へと突き進んでいったことがやるせない気持ちです。
今日のお話や体験を語ってくださった方々は高齢になり、年々戦争を取り上げる記事も少なくなった気がします。二度と人々が辛く悲しい思いをしないために、戦争を知らない世代であっても見聞きした事実を次の世代へ伝えていく大切さを感じました。

多くの人の参加につながる

原田さん(枚方まちづくり連絡会)

コロナ禍(か)の中で、新しい参加形態が生まれたのではないでしょうか。この新型コロナウイルス感染症が終息したのち(完全終息とはならないまでも)、広島・長崎の現地で、そしてオンラインでより多くの人の参加につながってほしいと思いました。
これまで何度か、広島・長崎のピースツアーに参加しました。その度に原子爆弾の被害が、今なお続いていることに胸が締め付けられます。広島平和記念公園の中には60カ所もの慰霊碑があることを知り、改めて訪れたい気持ちになりました。
20数年前にアメリカに旅行した時、飛行機の歴史の展示場に “エノラ・ゲイ”と “リトルボーイ” “ファットマン”の模型、そして操縦士の写真が英雄として展示されていた事を思い出しました。投下したその下でどんなことが起こっていたのか、その実相を伝える場であるNPT再検討会議が延期されたことが残念でなりません。

※1 “エノラ・ゲイ”…広島に原爆を投下したアメリカ軍の爆撃機
※2 “リトルボーイ”…広島に投下された原子爆弾の呼び名
※3 “ファットマン”…長崎に投下された原子爆弾の呼び名

日本生協連の「2020ピースアクション特設ポータルサイト」では、録画した内容を見逃し配信しています。

※見逃し配信のご視聴は事前の参加登録がなくてもどなたでもご覧いただけます。
※当日トラブルにより録画データを配信できない場合があります。
※配信期間は期間限定とします(実施後2か月程度を予定)。

2020ピースアクション特設ポータルサイトはこちら

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