組合員活動紹介

2013年05月02日

「戦争を起こしてはいけない」の気持ちをつなげよう

「戦争を起こしてはいけない」の気持ちをつなげよう
~もっと知ろう!行ってみよう!枚方戦跡めぐり~

2013年3月6日
枚方・天の川(あまのがわ)地域活動委員会 15名参加

第2次世界大戦では空襲をほとんど受けなかった枚方の町ですが、多くの軍需施設やモニュメントなどの戦跡(約50カ所)が残されています。
戦争体験者の組合員・北川さんを語り部に、戦跡をめぐりました。

日清日露戦争で、兵器を大量に作り保管し始めた日本。枚方は淀川の水路利用、また現在の学研都市線へ軍用鉄道を引き込める場所のため、兵器製造や保管場所として重要な拠点でした。

昭和14年3月1日、禁野(きんや)火薬庫で約700名が死傷する大爆発がおこります。
事故後、禁野火薬庫の規模は縮小されますが、大阪陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)の爆弾・信管工場移転など、枚方製造所として利用され、軍施設自体は拡大しました。

戦後、軍施設は閉鎖され、建物等の大部分は解体されましたが、市民の力で戦争を風化させないよう、土塁(どるい)や施設跡などが各地に戦跡として残り、また新たにモニュメントや慰霊碑が建てられました。

北川さんは言います「戦争中は誰が死んでも不思議でない状況でした。
多くの亡くなった人たちの分まで生きて、もう二度と戦争を起こしてはいけないと伝えていくのが、生き残った私の務めだと思っています」と。
今の平和な時代を続けていくため、戦争の記憶・平和への思いを“つないでいく"ことが、今を生きる大人の務めではないでしょうか。
いざ、ピースリレーへ。


禁野火薬庫や枚方製造所から砲弾などを運んだ軍用鉄道跡である中宮(なかみや)平和ロード。
右端が北川さん


妙見山(みょうけんやま)の煙突。火薬などを製造していた香里製造所跡


枚方市作成の「戦争遺跡ガイド」より抜粋

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