ときわこども食堂
掲載日:2022年4月25日
- 場所
- 大阪市阿倍野区阪南町1-2−1 常盤文化会館
- 開催日
- 毎週火曜日 16:30~18:30
- 参加料
- 300円(登録制)
代表:大鳥 真寛さん
パルコープエリアにある「子ども食堂」を訪問し、活動の様子や運営されている方の思いなどをご紹介します。
今回は、阿倍野区にある「ときわこども食堂」さんです。
地下鉄「文の里」駅からほど近い高速道路高架下の常盤文化会館を借りて開催しているのが、ときわこども食堂さん。地域の集会場のため調理室はなく給湯室なのだが、子ども食堂を始めるにあたり、地域の協力で電磁調理器やホットプレートを数台使っても電源が落ちないように工事を済ませてもらったそうだ。
放課後来た子どもたちは、食事ができるまで思い思いに過ごす。近所の公園では大人の見守りのもと、ボール遊びなどで遊んだり、室内で勉強したり。5時ごろにはみんな一緒に「いただきます」。コロナ禍のため黙食だが、温かい食事を気心が知れた人たちと食べることを大切にしている様子が伝わってくる。
子どもたちのために「もう絶対休まない!」と
決断した中でもらったご支援
代表の大鳥さんにお話を伺いました。「ここは2016年より、ときわの子どもたちが集まる『放課後の居場所づくり』を目的に始めました。私は同じ阿倍野区で「たこつぼ」という明石焼き屋を営んでおり、当時Facebookでたまたまこども食堂に関する投稿を見て、パートさんたちと相談し、店の営業時間の合間にやってみることにしたのです。2016年というと、まだ「こども食堂」という名が世間に広がり出した頃で、なかなか周囲の理解を得るのが難しく、保護者の方へ説明会を開いたりしました。そういった説明会の段取りなど、立ち上げ当初から常盤小学校PTAのみなさんにご協力いただいてます(自分自身が副会長ということもあって)。PTAつながりで今でもスタッフとして活躍いただいている方が数名いて、皆さん頼れるベテランメンバーです。
こども食堂では、放課後みんなで宿題をがんばったり公園で遊んだりした後に、一緒にご飯を食べています。時には外出する課外イベントも企画します。それは、たこつぼ店内から場所を変えた今でも、コロナ禍の中でも変わりません。
一度だけ、2020年に1回目の緊急事態宣言が出た時は、スタッフから不安の声もありやむなく休止した期間がありました。しかし、子どもたちのためには良くなかったなと思い、もう絶対休まない!と決めました。そんな中、地域の方から店内よりも広い今の場所を紹介していただき、地域活動協議会の方々のご協力もあり移転しました。子どもたちのため何があっても休まない、というのを地活協の会長にも伝えたところ、区長にも話を通してくださり、コロナ禍でも会館を開けられるようになりました。また、調理の際に電源が落ちないよう電気工事をしてくださり、購入した冷蔵庫や備品も置かせていただけることになりました(ただし退去の際は置いていくことを前提に)。このように、ときわこども食堂は地域のみなさまのご支援によって支えられています。
パルコープさんとつながれたのも地活協の方から話が出たからなんです。フードバンク大阪さんまで取りに行っていた時期もあったんですが、パルコープさんは直接ここまで持ってきてくれるので本当にありがたいです。そして、コープさんから食材をいただくようになってから、食材はほぼまかなえるようになりました。コープさんのものは子どもたちに安心して出せますし、基本使い勝手が良いので食べさせやすく、味も良いところが嬉しいです。ここでは調理場の設備の関係で揚げ物ができないので、たまにいただく冷凍の揚げ物なんかもとても重宝しています。毎回スタッフたちでいただいた食材を並べて次のメニューを楽しみながら考えています。
世代を超えた交流拠点として『みんなの居場所』に
やりだした頃は、こどもたちのあまりの騒がしさに面食らいました。近所迷惑になるので怒鳴ってしまうこともしばしばでしたが、そもそもなぜこんなに暴れるのか、なぜこんなことをするのかを調べているうちに、怒ってはダメだということを学び、子どもたちの行動の裏にある気持ちも分かってきました。それからは少しずつ通じ合えるようになってきたように思います。
昨年4月から、こども食堂が終わった後に同じ場所で「トキワの森」という中高生を対象とした居場所づくりも始めました。近くでやっていた中学生の特別支援教育の場がなくなってしまったので、ここが代わりとなる場所になればいいなと思ったのです。この時間からは、臨床心理師・公認心理師・精神保健福祉士も常駐した体制で行っています。しかし、はじめて間もなく2~3件相談はあったものの、学校に行きづらい子がいきなり週1回ここまで通うというのは実際なかなか難しく、無理やり連れていく親御さんもしんどいだろうということが見えてきました。だからこそ、早めに、小学生の頃から地域でこどもたちを見ていくことが大事だということを感じました。結果的に今来てくれている子たちは、こども食堂をはじめた当初小学生で暴れまわっていたおなじみの子たちです(笑)。それはそれで心身ともに成長していく姿が見られるので嬉しいことですし、小学生から関わることで何かあった時ここに戻ってこれるだろうという思いに至りました。これからはこの中高生の部の方が受験を控えたり社会に出る準備をしたりといろいろ難しくなってくるでしょう。自分自身ももっと勉強していきたいと思っています。
今は助成金や支援いただいたものでやりくりしていますが、いずれはNPO法人として地域の企業さんの応援もいただきながら進めていけたらと考えています。個人の力だけでなく組織だってみんなで地域に目を向ける。そういうところから街は変わっていくんだと思います。この考えは、おそらく初代「たこつぼ」店主の祖父が商店街のことに積極的に取り組んでいた姿から影響を受けているのかなと、振り返ってみて思います。そして、自分が三代目になり商店街での活動を通して地域のことにもっと関わっていかなければと身をもって感じるようになったことが、こども食堂に興味をもった背景にあったのではと思います。
僕たちの役目は、役所にはできないことをすること。役所はどうしても予算の中で決まったことしかできないですし、成果がなければやめなければならないというシビアなところがあります。しかしこどもたちと成果は関係ありません。学校からもれてしまう子たちをすくい上げるのは地域住民である我々の責任。行政が誰かだけを特別扱いできないのであれば、それを自分たちでどうするか。だから民間の企業でもできると思っていますし、地域住民が主体となった地盤がしっかりできあがっていたら役所との連携ももっとうまくできるんじゃないかなと。
といっても僕は日ごろからあまり深くは考えていません。考えすぎると何もできないのでとにかくやってみて、やっていく中で地域のみなさんと考えていきたいです。そして、ここがクラスや学年、世代を超えた交流拠点として『みんなの居場所』になって、そういう場所がどんどん広がっていけばいいなと思います」。