わたしの戦争体験集

わたしの戦争体験集

戦争の記憶を次世代に伝え、平和への想いを未来へつなげるために
組合員さんから寄稿いただいた、戦争体験談をご紹介します。

戦争とは

戦争とは

大阪市生野区 Yさん 94歳

戦争とは

現在の長崎県諫早市高来町の北西部にあたる「湯江町」というところで暮らしていた私は、昭和19年(1944年)、13歳で海軍の試験に合格し翌年の9月に入隊を控えていた。

その頃は戦争が激化し、食糧難にさいなまれ、今の米騒動どころの話ではなかった。
作っても作っても全て軍に取り上げられてしまうのだ。
空襲もずっとあった。
米軍の小型機が来るようになってからは人を追いかけまわすので毎日気が気じゃない。
通学は集団登校で、高学年の私は低学年を引率しなければならなかったが、空襲で空が黒くなるくらい敵機が飛んできた時は田んぼのあぜ道に隠れたり伏せたりして命を守った。子どもながらに高学年としての責任があったが、恐ろしかった。
そんな日常の中、3月に私は小学校の卒業式を迎えた。

しかし卒業式の日も空襲警報で卒業式が中断され、みんな慌てて帰り、警報が解除されてからまた学校に戻って卒業証書だけもらった。だから卒業写真も何もない。

そして8月9日のあの日、私は母と自宅からほど近い丘の上の畑にいた。
暑いし早く帰って昼にしようかと言っていたところ、上空でB29が一基だけ飛んできたのを目撃した。しかしそんなものはもう見慣れた光景で、空襲警報も何もなかった。
B29はそのまま長崎市の方向へ。距離はおよそ30~40㎞先。
「ピカっと稲光がした!」と母が言った矢先、B29が飛んでいった方向からものすごい爆音がして、たちまちきのこ雲が浮き上がる。そして落下傘が2つか3つ見え、黒い煙の塊が、しだいに太陽に照らされ真っ赤になった。


数日前、広島で落下傘付きの新型爆弾が落とされたが「損害は軽微なり」と新聞に書いていたので、たいしたことがないと思っていた。
しかしまさかそれが…?
すると今度は下から煙がもくもく立ちあがる。家が燃え出したのだろう。その煙が次第にこちらの山まで来た。太陽が沈む方向が煙で黄色くなった。
私はどうしようもなく、足がすくんだ格好でそこに長いあいだ立ちつくした。

私の兄は長崎市の軍需工場で勤めていて、そこはまさに爆心地であった。
長崎にいる兄はどうなったのかと家族で心配していると、夜中の3時ごろになって兄が帰ってきた。その日の昼前。雨漏りするからと屋根の修理をしていた兄は、下に降りたとたんに稲光がして訳が分からぬまま衝撃で転げたという。
しかし瞬時にモーターの防火壁にもぐりこみ、奇跡的に一命をとりとめたのである。

だがそれからが難儀だった…。

10日~20日経つにつれ兄の身体にあちこち異変が出てきて、それから72歳まで生き延びたが、ずっと病院を出たり入ったりを繰り返す生活で大変そうであった。
さらに被爆したときは結婚したてで、子どもを5人授かったが、長男・次男・長女は原因不明で亡くなり、今も生きているのは1人だけ。

一度原爆にやられたら苦しみはその時だけではない。原爆というのは本当に恐ろしい。あれは人類を滅亡させる。

とにかく戦争をしたらあかん。
戦争をするということは自分がなくなるということ。
自分の命がなくなるということである。

今この時も世界では戦争・紛争が起こっているが、誰のために何のためにやっているのかさっぱりわからない。
自分は安泰だと、自分には関係ないと思っている人がずいぶんいると思う。だがもし自分の国が戦争をしようとしたら?
防衛のためであったとしても攻撃するということは戦争をするということ。自衛のためという名目をつけたとしても、相手の国から見れば侵略に他ならない。
そうなってからでは遅い。絶対に、何としてでも食い止めないといけない。兵器では国も人も守れない。
勝っても負けても、決して得にはならないのが戦争である。

(山本さんの文章は、取材させていただき編集担当がまとめたものです)

せんそうとは

おおさかしいくのく Yさん 94さい

げんざいのながさきけんいさはやしたかきちょうのほくせいぶにあたる「ゆえまち」というところでくらしていたわたしは、しょうわ19ねん(1944ねん)、13さいでかいぐんのしけんにごうかくしよくねんの9がつににゅうたいをひかえていた。

そのころはせんそうがげきかし、しょくりょうなんにさいなまれ、いまのこめそうどうどころのはなしではなかった。
つくってもつくってもすべてぐんにとりあげられてしまうのだ。
くうしゅうもずっとあった。
べいぐんのこがたきがくるようになってからはひとをおいかけまわすのでまいにちきがきじゃない。
つうがくはしゅうだんとうこうで、こうがくねんのわたしはていがくねんをいんそつしなければならなかったが、くうしゅうでそらがくろくなるくらいてっきがとんできたときはたんぼのあぜみちにかくれたりふせたりしていのちをまもった。
こどもながらにこうがくねんとしてのせきにんがあったが、おそろしかった。
そんなにちじょうのなか、3がつにわたしはしょうがっこうのそつぎょうしきをむかえた。
しかしそつぎょうしきのひもくうしゅうけいほうでそつぎょうしきがちゅうだんされ、みんなあわててかえり、けいほうがかいじょされてからまたがっこうにもどってそつぎょうしょうしょだけもらった。だからそつぎょうしゃしんもなにもない。

そして8がつ9かのあのひ、わたしはははとじたくからほどちかいおかのうえのはたけにいた。
あついしはやくかえってひるにしようかといっていたところ、じょうくうでびー29がいっきだけとんできたのをもくげきした。しかしそんなものはもうみなれたこうけいで、くうしゅうけいほうもなにもなかった。
びー29はそのままながさきしのほうこうへ。きょりはおよそ30から40きろさき。
「ピカっといなびかりがした!」とははがいったやさき、びー29がとんでいったほうこうからものすごいばくおんがして、たちまちきのこぐもがうきあがる。そしてらっかさんが2つか3つみえ、くろいけむりのかたまりが、しだいにたいようにてらされまっかになった。

すうじつまえ、ひろしまでらっかさんつきのしんがたばくだんがおとされたが「そんがいはけいびなり」としんぶんにかいていたので、たいしたことがないとおもっていた。
しかしまさかそれが…?
するとこんどはしたからけむりがもくもくたちあがる。いえがもえだしたのだろう。そのけむりがしだいにこちらのやままできた。たいようがしずむほうこうがけむりできいろくなった。
わたしはどうしようもなく、あしがすくんだかっこうでそこにながいあいだたちつくした。

わたしのあにはながさきしのぐんじゅこうじょうでつとめていて、そこはまさにばくしんちであった。
ながさきにいるあにはどうなったのかとかぞくでしんぱいしていると、よなかの3じごろになってあにがかえってきた。そのひのひるまえ。あまもりするからとやねのしゅうりをしていたあには、したにおりたとたんにいなびかりがしてわけがわからぬまましょうげきでころげたという。
しかししゅんじにぼうかへきにもぐりこみ、きせきてきにいちめいをとりとめたのである。

だがそれからがなんぎだった…。

10かから20かたつにつれあにのからだにあちこちいへんがでてきて、それから72さいまでいきのびたが、ずっとびょういんをでたりはいったりをくりかえすせいかつでたいへんそうであった。
さらにひばくしたときはけっこんしたてで、こどもを5にんさずかったが、ちょうなん・じなん・ちょうじょはげんいんふめいでなくなり、いまもいきているのはひとりだけ。

いちどげんばくにやられたらくるしみはそのときだけではない。げんばくというのはほんとうにおそろしい。あれはじんるいをめつぼうさせる。



とにかくせんそうをしたらあかん。
せんそうをするということはじぶんがなくなるということ。
じぶんのいのちがなくなるということである。

いまこのときもせかいではせんそう・ふんそうがおこっているが、だれのためになんのためにやっているのかさっぱりわからない。じぶんはあんたいだと、じぶんにはかんけいないとおもっているひとがずいぶんいるとおもう。だがもしじぶんのくにがせんそうをしようとしたら?
ぼうえいのためであったとしてもこうげきするということはせんそうをするということ。じえいのためというめいもくをつけたとしても、あいてのくにからみればしんりゃくにほかならない。
そうなってからではおそい。ぜったいに、なんとしてでもくいとめないといけない。へいきではくにもひともまもれない。
かってもまけても、けっしてとくにはならないのがせんそうである。


(やまもとさんのぶんしょうは、しゅざいさせていただきへんしゅうたんとうがまとめたものです)

空襲

敵の飛行機が町や村に爆弾を落とすこと。一般の人々がケガをしたり、たくさんの人が亡くなった。

米軍

アメリカ軍のこと。

空襲警報

空から敵の飛行機が来るかもしれない時に町の人に知らせるサイレン音。聞いた人は、安全な場所に避難したり、身を守ったりした。

B29

戦争中に日本の街を攻撃するために使われた、アメリカの巨大な飛行機(爆撃機)のこと。東京や大阪などの大きな街にたくさんの爆弾を落としたり、広島と長崎に原子爆弾を落とした飛行機。

きのこ雲

原子爆弾が爆発したときにできる、キノコに似た形の特別な雲。

落下傘

飛んでいる飛行機から物資や人が降下する時に、空中で開いて傘状になる用具。パラシュート。

新型爆弾

広島と長崎にアメリカ軍から落とされた原子爆弾のこと。

軍需工場

戦争の時に使う銃や爆弾、また兵隊さんの服などを作る工場のこと。

被爆

原子爆弾などの核兵器による被害のことで、体に悪い影響が出ることがある。

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