

戦争の記憶を次世代に伝え、平和への想いを未来へつなげるために
組合員さんから寄稿いただいた、戦争体験談をご紹介します。
掲載年:2026年
大阪市住吉区 Yさん 74歳
私の住居の近くの「田辺」に、戦争中原爆を投下するための実験用の爆弾が落ちたことを50年近く住んでいますが、あまり詳しくは知らず、又長いことどこなのかも知らなかったので調べてみました。
原子爆弾は重くて、大きかったので、安全に落下地点まで運べるか?などを実験するため、事前に日本全国各地に模擬爆弾49発を投下しました。そして大阪の田辺にも原爆と同型・同重量の模擬爆弾が投下されました。
ピース大阪で当日の体験談を紹介しています。
学校の先生だった体験者は、生徒を連れて3㎞離れた工場に作業に行きました。
その日は作業ができず、作業場の隣の部屋で生徒達と自習をしていました。突然大きな音がし、爆風で作業場は吹き飛んでしまったそうです。作業場で作業をしていたらどうなっていたのでしょうか?
九死に一生を得て、何があったのかもわからず学校に戻ってみると、あたりには大きな穴があき、まわりの家々は粉々に砕け散っていたそうです。家の外にいた人々は吹き飛ばされて、家の中にいた人は、破片などで大勢が怪我をしました。
そして数日後、広島に原爆が投下されました。
世界中で原子爆弾の投下の体験は、広島と長崎の日本だけです。また全国に49発もの模擬爆弾の投下もあり犠牲者も沢山いました。
もう二度とこのような体験は世界中どこであってもしたくないし、絶対してはいけない、そしてさせてはいけないと思います。
原爆だけではなく、人間だけが起こしてしまう戦争は悲劇です。
同じ地球に存在するすべての生物・自然はみな「平等」で、地球の仲間として互いに「和」を大切にすることが「平和」ではないでしょうか。
今でも田辺の恩楽寺に模擬爆弾投下の碑があります。
戦争の体験はしていなくても、またしていないからこそ、私達はこの戦争の悲劇を忘れずに、「平和」を希求し続けたいと思います。
おおさかしひがしすみよしく Yさん 74さい
わたしのじゅうきょのちかくの「たなべ」に、せんそうちゅうげんばくをとうかするためのじっけんようのばくだんがおちたことを50ねんちかくすんでいますが、あまりくわしくはしらず、またながいことどこなのかもしらなかったのでしらべてみました。
げんしばくだんはおもくて、おおきかったので、あんぜんにらっかちてんまではこべるか?などをじっけんするため、じぜんににほんぜんこくかくちにもぎばくだん49はつをとうかしました。そしておおさかのたなべにもげんばくとどうけい・どうじゅうりょうのもぎばくだんがとうかされました。
ぴーすおおさかでとうじつのたいけんだんをしょうかいしています。
がっこうのせんせいだったたいけんしゃは、せいとをつれて3きろめーとるはなれたこうじょうにさぎょうにいきました。
そのひはさぎょうができず、さぎょうじょうのとなりのへやでせいとたちとじしゅうをしていました。とつぜんおおきなおとがし、ばくふうでさぎょうじょうはふきとんでしまったそうです。さぎょうじょうでさぎょうをしていたらどうなっていたのでしょうか?
きゅうしにいっしょうをへて、なにがあったのかもわからずがっこうにもどってみると、あたりにはおおきなあながあき、まわりのいえいえはこなごなにくだけちっていたそうです。いえのそとにいたひとびとはふきとばされて、いえのなかにいたひとは、はへんなどでおおぜいがけがをしました。
そしてすうじつご、ひろしまにげんばくがとうかされました。
せかいじゅうでげんしばくだんのとうかのたいけんは、ひろしまとながさきのにほんだけです。またぜんこくに49はつものもぎばくだんのとうかもありぎせいしゃもたくさんいました。
もうにどとこのようなたいけんはせかいじゅうどこであってもしたくないし、ぜったいしてはいけない、そしてさせてはいけないとおもいます。
げんばくだけではなく、にんげんだけがおこしてしまうせんそうはひげきです。
おなじちきゅうにそんざいするすべてのせいぶつ・しぜんはみな「びょうどう」で、ちきゅうのなかまとしてたがいに「わ」をたいせつにすることが「へいわ」ではないでしょうか。
いまでもたなべのおんらくじにもぎばくだんとうかのいしぶみがあります。
せんそうのたいけんはしていなくても、またしていないからこそ、わたしたちはこのせんそうのひげきをわすれずに、「へいわ」をききゅうしつづけたいとおもいます。