わたしの戦争体験集

わたしの戦争体験集

戦争の記憶を次世代に伝え、平和への想いを未来へつなげるために
組合員さんから寄稿いただいた、戦争体験談をご紹介します。

一瞬の判断で生と死が分かれてしまった出来事

掲載年:2026年

大阪市住吉区 Nさん 67歳

私の母は昭和5年8月6日、大阪市で4人兄弟の長女として産まれ、令和3年92歳で人生の幕を閉じました。
私が小学校の頃からよく母は戦争体験を話してくれました。

あの時私(母)は、大谷女学校の学生でした。学校では毎日竹槍で敵の軍機を落とす訓練をしていましたが、戦争が激しくなり学校へ行く事ができなくなりました。
すでに父は満州へ出兵、その後、母はガンを患い、子供を育てていく事が難しく、3女は里子に、次女は親戚に預けられ、長男は住み込みで奉公、兄弟はバラバラになりました。
父は祖父と本町で羅紗商(ラシャ)を営んでいたので自宅には高価な珍しい品が多数あり私達は豊かな暮らしをしていました。それが戦争で一変してしまったのです。
今まで、家事全てを家政婦さんに任せていたのですが、私と祖父で生活を支えて行くことになりました。

日に日に戦争は激しくなり食べる物もそこをつき、考えるのは食料を手に入れる事だけでした。
私は祖父と共に汽車に乗り地方の農家へ着物や高価な生地、珍しい置物を持ってお米や野菜と交換してもらい食べ繋いでいました。
ある日の事、いつものようにお米と野菜を持って大阪に帰る汽車にのり、うとうとしていた時、突然祖父が「わよ起きろ!」(祖父は私を「わよ」と呼んでいました)。びっくりして目を開けると遠くに十数機の戦闘機がみえたのです。
祖父は「飛び降りるぞ!」と。私は怖くてできないと思いましたが、遠くに見えた戦闘機が迫ってくるのがハッキリわかりました。祖父は荷物を外に投げ捨てました。そして、迫ってくる戦闘機に怯えなから線路脇の畑に飛び降り身を伏せました。
その直後、汽車は機銃掃射を受け逃げ遅れた乗客達の命は奪われました。
その光景と音は今も忘れる事ができません。
一瞬の判断で生と死が分かれてしまいました。
その後、父は満州で戦死、母も自宅で息をひきとりました。枕の下に時世の句が(最後に書き残しておきます)。

私と祖父は地方へ疎開することになり、無事終戦をむかえました。
「誰が何の為に人を殺すのか、何の為に争うのか。悲惨な戦争は絶対に起こしてはいけない」と毎年、自分の誕生日が近づくと話していました。

ありがたや 恵みの愛に包まれて
弥陀の浄土に かえるうれしさ      詠人 きよこ

いっしゅんのはんだんでせいとしがわかれてしまったできごと

おおさかしすみよしく Nさん 67さい

わたしのはははしょうわ5ねん8がつ6にち、おおさかしで4にんきょうだいのちょうじょとしてうまれ、れいわ3ねん92さいでじんせいのまくをとじました。
わたしがしょうがっこうのころからよくはははせんそうたいけんをはなしてくれました。

あのときわたし(はは)は、おおたにじょがっこうのがくせいでした。がっこうではまいにちたけやりでてきのぐんきをおとすくんれんをしていましたが、せんそうがはげしくなりがっこうへいくことができなくなりました。
すでにちちはまんしゅうへしゅっぺい、そのご、はははがんをわずらい、こどもをそだてていくことがむずかしく、3じょはさとごに、じじょはしんせきにあずけられ、ちょうなんはすみこみでほうこう、きょうだいはばらばらになりました。
ちちはそふとほんまちでらしゃしょう(らしゃ)をいとなんでいたのでじたくにはこうかなめずらしいしながたすうありわたしたちはゆたかなくらしをしていました。それがせんそうでいっぺんしてしまったのです。
いままで、かじすべてをかせいふさんにまかせていたのですが、わたしとそふでせいかつをささえていくことになりました。

ひにひにせんそうははげしくなりたべるものもそこをつき、かんがえるのはしょくりょうをてにいれることだけでした。
わたしはそふとともにきしゃにのりちほうののうかへきものやこうかなきじ、めずらしいおきものをもっておこめややさいとこうかんしてもらいたべつないでいました。
あるひのこと、いつものようにおこめとやさいをもっておおさかにかえるきしゃにのり、うとうとしていたとき、とつぜんそふが「わよおきろ!」(そふはわたしを「わよ」とよんでいました)。びっくりしてめをあけるととおくにじゅうすうきのせんとうきがみえたのです。
そふは「とびおりるぞ!」と。わたしはこわくてできないとおもいましたが、とおくにみえたせんとうきがせまってくるのがはっきりわかりました。そふはにもつをそとになげすてました。そして、せまってくるせんとうきにおびえなからせんろわきのはたけにとびおりみをふせました。
そのちょくご、きしゃはきじゅうそうしゃをうけにげおくれたじょうきゃくたちのいのちはうばわれました。
そのこうけいとおとはいまもわすれることができません。
いっしゅんのはんだんでせいとしがわかれてしまいました。
そのご、ちちはまんしゅうでせんし、ははもじたくでいきをひきとりました。まくらのしたにじせいのくが(さいごにかきのこしておきます)。

わたしとそふはちほうへそかいすることになり、ぶじしゅうせんをむかえました。
「だれがなんのためにひとをころすのか、なんのためにあらそうのか。ひさんなせんそうはぜったいにおこしてはいけない」とまいとし、じぶんのたんじょうびがちかづくとはなしていました。

ありがたや めぐみのあいにつつまれて
みだのじょうどに かえるうれしさ      よみびと きよこ

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