わたしの戦争体験集

わたしの戦争体験集

戦争の記憶を次世代に伝え、平和への想いを未来へつなげるために
組合員さんから寄稿いただいた、戦争体験談をご紹介します。

戦争中の事

掲載年:2026年

大阪市平野区 Fさん 85歳

昭和15年に大阪住吉区松虫町にて生まれました。常に焼夷弾が降り空襲にあい、毎日恐ろしい思いをして居りました。5才の春に、丹波の方へ疎開致しました。其の家は、父の兄の家で牛小屋を改造して、土間の上に板を張って部屋に成っていました。
くさい臭いがして、なれる迄は時間がかかりました。食べる物がなく、毎日ひもじい思いをしていました。冬には雪が多く積り、外へは出られず家の中ですごして居りました。
春には、新芽が出るので草を集めて食べ、夏には、よその家の畑へ入り、トマト、キュウリ、ナスビを盗んでお腹をみたして居りました。秋には野山へ行き、山栗、柿、すももなど食べて居りました。一日一食のご飯は「サツマイモ」1個。いつもお腹をすかせていました。

一番こまった事は、食べる物、着る物が無いと言う事。

小学校入学式の写真には、兄貴の服を着て写っていました。風呂ももらい風呂で最後に入るのです。湯は少なく湯の色はネズミ色、ぬるいお湯に入るのです。追いたきはダメと言うのです。石鹸など何もなく、ただタオルでこするだけ、頭も其の湯を流すだけ、そやから頭に「シラメ虫」がわいて体にも移り、肌着は鍋で炊きシラメをころすのですが、頭はシラメだらけ、かゆいので、かきむしって居りました。夏はすぐ乾くのですが、冬は、困ります。着替えが無いのです。靴もありません。わらぞうりで雪の上を歩くので、しゅんで冷たいので泣きました。電気、水道等、何にも無い所でした。広島に原爆が落ちた時、空が真っ赤に成り田舎の空にも、子供ながらに異変を感じました。5才の夏頃だったと思います。小学校も遠い所で、歩いて一時間以上かかる所で、靴などないです。わらぞうりです。

兄姉も多く私は真ん中ぐらいでした。姉二人は町の方へ働きに出て、家にお金を送ってくれて、父も出稼ぎ労働者で家に帰って来ません。母、兄、妹二人、私、毎日寂しい生活を送って居りました。其の内妹は3才で栄養失調で死んでしまいました。二人目の妹です。かなしい事です。

戦争は絶対だめ、皆んなが不幸になってしまう。

ウクライナ対ロシア、いつ迄戦争が続いているの?何人の人が死んでるの?
戦争は早くやめてと世界中の人が祈っています。今回生協のチラシを見て85才に成る私に何が出来るかと、現在の時代の人に、私の様な人生を送らない様、戦争は駄目と言う事、よくよく知ってほしいです。

せんそうちゅうのこと

おおさかしひらのく Fさん 85さい

しょうわ15ねんにおおさかすみよしくまつむしちょうにてうまれました。つねにしょういだんがふりくうしゅうにあい、まいにちおそろしいおもいをしておりました。5さいのはるに、たんばのほうへそかいいたしました。そのいえは、ちちのあにのいえでうしごやをかいぞうして、どまのうえにいたをはってへやになっていました。
くさいにおいがして、なれるまではじかんがかかりました。たべるものがなく、まいにちひもじいおもいをしていました。ふゆにはゆきがおおくつもり、そとへはでられずいえのなかですごしておりました。 はるには、しんめがでるのでくさをあつめてたべ、なつには、よそのいえのはたけへはいり、とまと、きゅうり、なすびをぬすんでおなかをみたしておりました。あきにはのやまへいき、やまぐり、かき、すももなどたべておりました。いちにちいっしょくのごはんは「さつまいも」1こ。いつもおなかをすかせていました。

いちばんこまったことは、たべるもの、きるものがないということ。

しょうがっこうにゅうがくしきのしゃしんには、あにきのふくをきてうつっていました。ふろももらいふろでさいごにはいるのです。ゆはすくなくゆのいろはねずみいろ、ぬるいおゆにはいるのです。おいたきはだめというのです。せっけんなどなにもなく、ただたおるでこするだけ、あたまもそのゆをながすだけ、そやからあたまに「しらめむし」がわいてからだにもうつり、はだぎはなべでたきしらめをころすのですが、あたまはしらめだらけ、かゆいので、かきむしっておりました。なつはすぐかわくのですが、ふゆは、こまります。きがえがないのです。くつもありません。わらぞうりでゆきのうえをあるくので、しゅんでつめたいのでなきました。でんき、すいどうとう、なんにもないところでした。ひろしまにげんばくがおちたとき、そらがまっかになりいなかのそらにも、こどもながらにいへんをかんじました。5さいのなつごろだったとおもいます。しょうがっこうもとおいところで、あるいていちじかんいじょうかかるところで、くつなどないです。わらぞうりです。

けいしもおおくわたしはまんなかぐらいでした。あねふたりはまちのほうへはたらきにでて、いえにおかねをおくってくれて、ちちもでかせぎろうどうしゃでいえにかえってきません。はは、あに、いもうとふたり、わたし、まいにちさびしいせいかつをおくっておりました。そのうちいもうとは3さいでえいようしっちょうでしんでしまいました。ふたりめのいもうとです。かなしいことです。

せんそうはぜったいだめ、みんながふこうになってしまう。

うくらいなたいろしあ、いつまでせんそうがつづいているの?なんにんのひとがしんでるの?
せんそうははやくやめてとせかいじゅうのひとがいのっています。こんかいせいきょうのちらしをみて85さいになるわたしになにができるかと、げんざいのじだいのひとに、わたしのようなじんせいをおくらないよう、せんそうはだめということ、よくよくしってほしいです。

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