

戦争の記憶を次世代に伝え、平和への想いを未来へつなげるために
組合員さんから寄稿いただいた、戦争体験談をご紹介します。
掲載年:2026年
寝屋川市 Yさん 88歳
水を、水を、と言う母の声で急いで大鍋を引っ張り出し蛇口をいっぱいにひねっていた時、私の背中がガラスの破片で傷だらけとは思ってもいませんでした。食卓の上のものは部屋中に飛び散り、柱時計は床に落ち、庭に面したガラス戸はメチャメチャに壊れ、縁の下の履き物は開けていた押入れの中に、辺り一面ガラスの破片だらけでした。
暫くして家の前を衣服が垂れ下がっている人、ほとんど衣服をまとっていない人、大火傷の人など、大勢の人がゾロゾロと爆心地から遠くへ遠くへと歩いて行きました。
父は運良く、その日の前日の夜から名古屋出張に出掛けておりました。岡山近くで止まっていた汽車を降り、広島まで歩いて帰宅しました。家族全員無事な姿を見てホッとした事でしょう。律儀な父は家を簡単に修復後、会社の旗を背中に立て自転車で市内へ救助に向かいました。毎日毎日寡黙に自転車で出かけておりました。
爆心地から約四キロ位離れている私の小学校は避難所になり、大勢の方々が手当を受けておられたので、戦後暫くは神社やお寺、公民館、山の上の兵舎あと等で机も椅子も無い状態で授業を受けました。
校庭の片隅が火葬場になっていましたが、毎日何人もの人が亡くなられるので、家から500メートル位向こうの畑の真中でも火葬していました。始めの内はその臭いに耐えられなかったのですが、毎日、煙が上がり、その臭いにも慣れてしまいました。その位毎日、毎日、何体も何体も火葬していました。何処の誰だか分からないままお骨にされた方達が大勢居られたようです。
我が家に父の会社の若い一家が疎開して来ておりました。たまたま8月5日から市内の留守にしている自宅に帰り、一家五人被爆しました。夫妻と長女の三人は助かりましたが半月ほどでご主人は亡くなられました。奥さんは髪の毛が抜け落ち、娘を連れて田舎に帰られました。
間も無く父の転勤で東京に引っ越しました。親戚が居る訳でも無いのに毎年お盆には広島に行く両親を見ていたのですが、何十年か経ってその気持ちが分かるようになりました。今、私は戦争のない平和な暮らしを楽しんでおります。お米が足りなければ、お蕎麦でもパンでも何でも美味しく有り難く頂いております。
この平和がいつまでも続くことを願っております。
ねやがわし Yさん 88さい
みずを、みずを、というははのこえでいそいでおおなべをひっぱりだしじゃぐちをいっぱいにひねっていたとき、わたしのせなかががらすのはへんできずだらけとはおもってもいませんでした。しょくたくのうえのものはへやじゅうにとびちり、はしらどけいはゆかにおち、にわにめんしたがらすどはめちゃめちゃにこわれ、えんのしたのはきものはあけていたおしいれのなかに、あたりいちめんがらすのはへんだらけでした。
しばらくしていえのまえをいふくがたれさがっているひと、ほとんどいふくをまとっていないひと、おおやけどのひとなど、おおぜいのひとがぞろぞろとばくしんちからとおくへとおくへとあるいていきました。
ちちはうんよく、そのひのぜんじつのよるからなごやしゅっちょうにでかけておりました。おかやまちかくでとまっていたきしゃをおり、ひろしままであるいてきたくしました。かぞくぜんいんぶじなすがたをみてほっとしたことでしょう。りちぎなちちはいえをかんたんにしゅうふくご、かいしゃのはたをせなかにたてじてんしゃでしないへきゅうじょにむかいました。まいにちまいにちかもくにじてんしゃででかけておりました。
ばくしんちからやくよんきろくらいはなれているわたしのしょうがっこうはひなんじょになり、おおぜいのかたがたがてあてをうけておられたので、せんごしばらくはじんじゃやおてら、こうみんかん、やまのうえのへいしゃあととうでつくえもいすもないじょうたいでじゅぎょうをうけました。
こうていのかたすみがかそうじょうになっていましたが、まいにちなんにんものひとがなくなられるので、いえから500めーとるくらいむこうのはたけのまんなかでもかそうしていました。はじめのうちはそのにおいにたえられなかったのですが、まいにち、けむりがあがり、そのにおいにもなれてしまいました。そのくらいまいにち、まいにち、なんたいもなんたいもかそうしていました。どこのだれだかわからないままおほねにされたかたたちがおおぜいいられたようです。
わがやにちちのかいしゃのわかいいっかがそかいしてきておりました。たまたま8がつ5にちからしないのるすにしているじたくにかえり、いっかごにんひばくしました。ふさいとちょうじょのさんにんはたすかりましたがはんつきほどでごしゅじんはなくなられました。おくさんはかみのけがぬけおち、むすめをつれていなかにかえられました。
まもなくちちのてんきんでとうきょうにひっこしました。しんせきがいるわけでもないのにまいとしおぼんにはひろしまにいくりょうしんをみていたのですが、なんじゅうねんかたってそのきもちがわかるようになりました。いま、わたしはせんそうのないへいわなくらしをたのしんでおります。おこめがたりなければ、おそばでもぱんでもなんでもおいしくありがたくいただいております。
このへいわがいつまでもつづくことをねがっております。
・爆心地(ばくしんち)
爆弾や原子爆弾が爆発した中心の場所のこと。
・疎開(そかい)
戦争の時に、子どもやお年寄りが安全のために家や学校から遠くの田舎など、安全な場所に引っ越すこと。
・被爆(ひばく)
原子爆弾などの核兵器による被害のことで、体に悪い影響が出ることがある。