2024年07月19日
日程:2024年3月21日(木)~23日(土)
参加:20名
再生が進められている岩手県陸前高田市の高田松原
一般社団法人「陸前高田被災地語り部」
くぎこ屋
釘子 明さん
陸前高田市民文化会館にて、語り部・釘子さんから避難所での生活や避難所運営で苦労されたことについてお話をいただきました。
中でも嬉しかったこととして、当時は喪服がなく、岩手生協さんが全国の生協に呼びかけを行い支援してくださったとおっしゃられていました。また、避難する際に「お薬手帳」や「印鑑」なども持ち出せるようにしておくといいというお話は、組合員さんにも伝えたいと思いました。
釘子さんは当時テレビやラジオから聞こえてくる"がれき"という言葉が悲しかったそうです。「紛れもなく瓦礫ですが、私たちにとっては瓦礫ではないんです。町の歴史であり、そこに住む人々の歴史であり財産なんです。」とおっしゃられていたのが印象的でした。私自身ニュース等で映像を見る際も"瓦礫"としてしか見ていませんでしたが、被災された皆さんにとっては自分たちの歴史や思い出以外の何物でもなく、それらを一瞬で奪ってしまった地震・津波の恐ろしさを感じました。
陸前高田市民文化会館にて、語り部・釘子さんから避難所での生活や避難所運営で苦労されたことについてお話をいただきました。
中でも嬉しかったこととして、当時は喪服がなく、岩手生協さんが全国の生協に呼びかけを行い支援してくださったとおっしゃられていました。また、避難する際に「お薬手帳」や「印鑑」なども持ち出せるようにしておくといいというお話は、組合員さんにも伝えたいと思いました。
釘子さんは当時テレビやラジオから聞こえてくる"がれき"という言葉が悲しかったそうです。「紛れもなく瓦礫ですが、私たちにとっては瓦礫ではないんです。町の歴史であり、そこに住む人々の歴史であり財産なんです。」とおっしゃられていたのが印象的でした。私自身ニュース等で映像を見る際も"瓦礫"としてしか見ていませんでしたが、被災された皆さんにとっては自分たちの歴史や思い出以外の何物でもなく、それらを一瞬で奪ってしまった地震・津波の恐ろしさを感じました。
一般社団法人「陸前高田被災地語り部」
くぎこ屋
釘子 明さん
<避難所で工夫されたこと>
・体育館を6つに仕切って地域ごとに分ける(顔見知りがいると安心できる)
・中学生や小学生を中心に毎朝ラジオ体操をやってもらい、1日の生活リズムをつくる
→若者たちの元気な号令から下ばかり向いていた高齢者や大人たちも行うようになり避難所の雰囲気が明るくなった
・届けられた食料をあえて見えないようにする
...などなど
今回は6本の桜の木を植えました。斜面で竹の根があったため、硬くて大変な作業でした。
植樹は、津波の最大到達地点に桜を植えて津波の記憶を伝え残すための活動ですが、同時に、桜の街にしていくことで岩手県=地震というイメージを変えていきたいという思いも込められているそうです。
これまでも三陸沖では頻繁に地震・津波が起こっており、先人たちは津波が到達した地点に石碑を残していましたが、桜ライン311の代表・岡本さんは身近にあっても意味が分かっていなかったそうです。歴史的に東日本大震災と同規模の津波被害に遭ったことがあることや、10Mを超える津波が来る可能性があること、防潮堤には限界があることが周知されていればもっと犠牲者が少なくてすんだのではないかと、今でも悔しい思いを持っておられ、生き残ってしまった事に対して罪悪感さえあったということを初めて知りました。
そういった悔しさも含め、石碑から日本の象徴である桜に変えることで、人との繋がりも続いていくすごくいい活動だなと感じました。
陸前高田では震災遺構が多くあり、悲しみを風化させない取り組みが行われていたのに対し、大槌町ではほとんどの建物が取り壊されていました。見るだけで辛いという遺族の方たちの意向を汲み取ってのことだと聞きました。どちらの対応も間違いではありませんが、地域によってこうも違うものなのかと知りました。
また、大槌町は陸前高田と違って海の近くにも家があり、何でかなと思いましたが、大槌町の方は海が見えないのは嫌だということで地盤を上げてでも海の近くに住むことを決めたそうです。
大槌町のシンボルひょうたん島(蓬莱島)をイメージして再建された大槌駅
旧大槌町役場跡地
大槌町のシンボルひょうたん島(蓬莱島)をイメージして再建された大槌駅
旧大槌町役場跡地
現地の方々が、被災された辛い出来事も私たちに真剣にお話してくださったことに大変感謝しています。
皆さんが口を揃えておっしゃるのは、「まさかここまで津波がくるとは思っていなかった」。大阪の自然災害リスクは世界4位ということで、「まさか大阪が...」と思っているこの現状が順位を押し上げている要因なのではと感じました。もし災害が自分の身に起きたとき、「今回うかがった経験談のおかげて私たちは助かりました」と言えるよう、自分も備え周りにも広めていきたいです。
<私たちがこれからすべき4つの行動>
①知る →知識、被災地の現状・想い
②備える →防災、減災に努める
③伝える →①②で実践したことを共有
④続ける →周期を決め定期的に①②③を継続
現地に行かないと実感できないことが多いので、多くの職員が参加できるように、今後も事業活動と支援活動の両立を継続させていけるように頑張っていきたいと思います。