2024年07月19日
日程:2023年11月16日(木)~18日(土)
参加:19名
11月16日(木)秋の植樹会に参加させていただきました。
2011年の秋から現在に至るまで毎年3月と11月に植樹会を開催しており、年間100~200本ペースで植樹。
今回僕たちが植えさせてもらった6本を含め、11月現在2178本。17000本のゴールに対してまだ12~13%くらいの植樹率。達成まではまだまだ程遠い。理由としては、事業に莫大な資金が必要であることや、植える土地の権利の問題などもあり時間がかかっているとのことです。
桜を植える作業は簡単に見えてとても体力のいる作業でした。また、海に向かって黙祷を捧げましたが、この静かな海が当時は巨大津波となって町を飲み込んだと考えると恐ろしかったですし、この海でたくさんの人が亡くなったと考えると本当に胸が痛かったです。今回自分が植えた桜がいつか、誰かを励ましたり、命を守ることが出来れば嬉しいです。
桜ライン311の代表・岡本さんが、祈念公園内を案内してくださいました。同公園は、東京ドーム28個分の広さがあり、敷地内には奇跡の一本松や高さ12.5mの防潮堤、防潮堤の上には献花台などが設けられています。津波が押し寄せた広田湾に面して作られており、津波はこの防潮堤の高さをはるかに超える約18mだったとのことです。
一本松も震災直後には塩害による影響で枯死してしまい、現在あるのは寄付金によって作られた樹脂で出来たレプリカだそうです。
津波で流されなかった要因としては、以下のことが考えられているそうです。
①この松だけ、他の松よりも高さがあったということ
②松の前にあった建物が津波の威力を弱めてくれたためということ
他にも市内には当時のままの建物がいたるところに震災遺構として残されており、津波の高さや威力を物語っていました。こういった物をあえて残し続けることで、現地の方はこれからも教訓として、また新しくこの地を訪れた方には、こういうことがあったという事実を知る証として胸に刻んでほしいと岡本さんはおっしゃられていました。
釘子さんは、避難所を運営していく中で、極限状態に陥った人々の心理状態や行動がどういうものかを教えてくださいました。大事な人を亡くした方や欲しいものが手に入らない苛立ち、集団生活のストレスなど、色んな問題が当時は起こったとおっしゃっていました。
中でも、一番困ったのが、水問題だったそうです。トイレや飲み水、お風呂など、普段の生活において人はものすごく水を使っていて、その大事さに気づかされたといいます。そういったことも踏まえて、 「自分の命は自分で守る」という前提のもと、生き残るために必要な情報や備えは気になった時にしっかり調べ、準備しなさいとおっしゃっていました。災害は待ってくれない。あんな苦しい思いは私たちだけで十分というお言葉に心を動かされました。
大槌町では、語り部の千葉さんに案内していただきました。
当時ハザードマップで避難先に指定されていた場所が津波にのまれ、避難された方々が多く亡くなってしまうという悲劇が複数の箇所で起こったそうです。 中でも特にひどかったのが大槌町役場で、災害対策本部設置に動いておられた職員約40人が津波の犠牲となられました。
また、火災の被害も大きく、町内の約70%近くの家屋が全壊・半壊。 町の一部区画は永久的に家を建てることが出来なくなり、土地のかさ上げ工事をし、高台に移り住んだ人も多いそうです。
千葉さん自身も被災し家も車も現金もなくなりましたが、命があったから今ここにいる。中にはせっかく逃げてきたのに、忘れ物を取りに行って津波に流された人もいたとの事です。何よりも命を守ってほしいと言われていました。
釜石市では、小・中学校の子供たちが協力し合い高台に避難したことによって、津波の被害を免れたという(後に「釜石の奇跡」と言われる)ことが起こりました。彼らは日ごろから登下校時の避難計画を立て、防災授業なども積極的に行っていたそうです。現在、この2つの学校の跡地には釜石鵜住居復興スタジアムという競技場が建てられており、ラグビーワールドカップの試合会場にもなり街のシンボルとなっていました。
釜石鵜住居復興スタジアム
「浜べの料理宿・宝来館」裏にある避難道
・岩手には過去4回ほど訪問していますが、改めて自身の防災意識の低さを痛感させられました。2011年に訪問した際の惨状から、十数年でここまで復興させた地元の方々のエネルギーを感じた一方で、地元の人にしかわからない問題は今なお発生しており、震災当初とは違った支援が必要だと感じました。桜ライン311もその一つであり、今回だけにとどまらず、多くの職員が参加し想いをつないでいきたいと思います。
・特に釘子さんの「自分の命は自分で守る。その次に自分の大切な人を守る。災害は待ってくれないし、想定通りなど絶対ない。準備が大切だが、何をどのように準備するかが一番重要」という言葉は一生忘れない言葉になりました。自分の住む地域はどういう地域か? 避難する場所は本当に大丈夫か? 避難する先に、必要な物資はあるか? いろんなことに疑問を持ち、しっかり確かめておくことが助かることにつながるという意識を持てるようになりました。いつか一度は訪れるべき場所です。 次にもう一度訪れる時は、大切な人と今回学んだ思いと一緒に、大きく育った桜を見に行きたいです。
・私が大阪に戻って伝えたい事は、三陸に興味を持ってほしい、三陸は良い所だったよ、という事です。テレビでは見た事があっても実際に訪れたことのある人は少ないかもしれません。私がそうでした。しかし実際に訪れてみると、のどかな景色が広がり、人は優しく強く、何より食事がとても美味しかったです。そういった現地の良かった所を広める事もこの研修に参加した私に出来ることだと思います。
・この研修で自分の中にあった「何かできないか」という想いが少しだけ叶った気がします。この経験と学んだことを周りの人たちに伝え、近いうちに来るといわれている南海トラフ地震に活かしていきたいと思います。