▼パルコープエリアにある「戦争のあと」マップ▼
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験の犠牲となった第五福竜丸の無線長・久保山愛吉さんと妻すずさんが生前に育てられたバラです。愛吉さんは「水爆実験の犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言を残し亡くなりました。
パルコープにある「愛吉・すずのバラ」は、京都府にある「立命館大学国際平和ミュージアム」より1998年4月30日に寄贈されたものです。
1945年8月14日午後1時前後、米軍のB29一四五機が砲兵工廠を空爆、1トン爆弾をばらまきました。
京橋駅にも5つの爆弾が落ち、うち一発が多数の乗客が避難していた片町線ホームに直撃。死者700~800名と言われています。
パルコープ本部の最寄りでもあるJR京橋駅に犠牲者を弔うために建てられた「京橋駅爆撃被災者慰霊碑」があります。